西尾劇場

西尾劇場
Nishio Theatre
西尾劇場のスクリーン
地図
情報
正式名称 西尾東映劇場
開館 1940年9月2日
閉館 2013年
最終公演 怪特探KAITOKUTAN岸部町奇談
客席数 234席[1]
用途 映画上映
旧用途 劇場
所在地 445-0852
愛知県西尾市花ノ木町4-15
位置 北緯34度51分52.83秒 東経137度3分23.14秒 / 北緯34.8646750度 東経137.0564278度 / 34.8646750; 137.0564278座標: 北緯34度51分52.83秒 東経137度3分23.14秒 / 北緯34.8646750度 東経137.0564278度 / 34.8646750; 137.0564278
最寄駅 名鉄西尾線 西尾駅
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株式会社西尾劇場
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
460-0007
愛知県名古屋市中区新栄三丁目2番13号
業種 不動産業
法人番号 7180301022702 ウィキデータを編集
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西尾劇場のこけら落としを飾った十三代目片岡仁左衛門1931年昭和6年)の写真)

西尾東映劇場(にしおとうえいげきじょう)は、愛知県西尾市花ノ木町にあった映画館。かつては劇場としても使われていた。

概要[編集]

旧称は西尾劇場、西尾東映。通称は西尾劇場(にしおげきじょう)。2009年平成21年)には建物が近代化産業遺産に認定されたが、老朽化が進行したため、2014年(平成26年)に取り壊された。

沿革[編集]

  • 1940年昭和15年) - 岡崎市の龍城座を移築して芝居小屋西尾劇場が開館。
  • 1946年(昭和21年)頃 - 本格的な映画興行開始。
  • 2013年(平成25年) - 営業終了。
  • 2014年(平成26年) - 建物解体。

データ[編集]

所在地
愛知県西尾市花ノ木町4-15
アクセス
名鉄西尾線 西尾駅から北西に徒歩で約2分。
座席数
  • 1,500席(1950年代)
  • 1,006席(1950年代後半)
  • 498席(1960年代 - 70年代前半)
  • 370席(1970年代後半 - 80年代前半)
  • 234席(1980年代後半 - 閉館時)[2]
支配人
  • 青山謙吉(1953年)
  • 手島政次(1960年 - 1964年)
  • 青山茂樹(1970年 - 2013年閉館時)[2]

歴史[編集]

1926年大正15年)には石川栄耀の都市計画による花ノ木町の区画整理事業が開始され、1928年(昭和3年)には西尾鉄道(現・名鉄西尾線西尾駅が花ノ木町に移転した。駅前繁華街の中心施設として劇場の建設が計画されたが、戦時中で大規模娯楽施設の新築が制限されていたため、1940年(昭和15年)9月2日、岡崎市の岡崎公園近くにあった劇場・龍城座(たつきざ)を移築し、西尾駅前に西尾劇場が芝居小屋として開館[3]。こけら落としは関西歌舞伎十三代目片岡仁左衛門の公演だった。

第二次世界大戦後には映画興行を開始。1946年(昭和21年)頃には日本全国の映画館が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の管制下に置かれたため、西尾劇場もハリウッドなどの洋画専門となったが、1950年(昭和25年)の東映創業を機に西尾劇場でも日本映画を上映するようになり、1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約を機に映画が自由解禁となった[3]。映画は基本的には東映の作品を上映していたが、大映日活の作品を上映することもあった[3]。戦後には劇場(芝居小屋)兼映画館として活動しており、東海林太郎榎本健一(エノケン)、美空ひばりなどの公演が行われた。1953年(昭和28年)時点ではホールが1,500席もあり、『映画館名簿』によれば愛知県では名古屋宝塚劇場(1950年代半ばには1,900席台)に次ぐ規模だった[4]

1950年代後半に1,006席に縮小されると、1963年(昭和38年)の改装で花道が撤去され、座席数も498席まで減らされた。1968年(昭和43年)には芝居興行を終えたが、劇場や映画館としての傍ら、広い舞台を活かして女子プロレス、キックボクシング、ストリップなどの興行も行われた。1980年代後半には234席となり、閉館までこの座席数を維持した[1][2]。2009年には「西尾市内の芸能・映画関連遺産」という名称で建物が近代化産業遺産に認定された[5]

名鉄西尾駅前には西尾劇場、松竹東宝系の松栄館、洋画専門の西尾パール劇場の計3館が、やや離れた菅原町には日活系の鶴城映劇が存在したが、西尾パール劇場と松栄館は1980年代後半から1990年代前半に相次いで閉館した[2]2011年(平成23年)9月に西尾劇場が映画館としての定期営業を終了すると、西尾市から一般映画館がなくなり、映画館は成人映画専門に転換した鶴城映劇のみとなった[2]。その後は単発的に映画上映を行っていたが、2013年(平成25年)4月14日、西尾劇場で撮影が行われた映画『怪特探KAITOKUTAN岸部町奇談』が最後の上映作品となった。この岸部町奇談の試写会には愛知県知事の大村秀章、西尾市長の榊原康正も列席している。建物は老朽化して屋根に穴が開くなどしており、2014年(平成26年)2月に取り壊され、更地となった。その後2015年(平成27年)、跡地の一部(愛知県道12号豊田一色線沿い)にauショップ西尾駅前が移転開業している[6]

特徴[編集]

ロビーには高倉健鶴田浩二藤純子千葉真一菅原文太など東映スターのポスターが数多く飾られ、1997年(平成9年)頃から閉館まではロビーで駄菓子を売っていた。建物は昭和初期の大規模木造建築であることから、映画『20世紀少年』で建物前がロケ地として使用され、映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』のロケ地にもなる予定だった。2013年(平成25年)の映画『怪特探KAITOKUTAN岸部町奇談』は西尾劇場で撮影が行われ、愛知県知事の大村秀章が西尾劇場の館長役で出演した。

西尾劇場を取り上げたテレビ番組[編集]

不祥事[編集]

劇場閉館後、不動産業として存続している法人「株式会社西尾劇場」(名古屋市中区)の代表ら2人が、劇場跡地の売却益約2億6300万円を申告せず、法人税約7800万円を脱税したとして、名古屋国税局2019年(平成31年)4月5日、法人と代表ら2人を、法人税法違反などの容疑で名古屋地方検察庁に告発したと発表した[12][13]

参考文献[編集]

  • 『映画館名簿』時事映画通信社、各年版

脚注[編集]

  1. ^ a b c d "愛知・西尾編". ウドちゃんの旅してゴメン. 4 June 2005. 名古屋テレビ放送. 2016年4月25日閲覧
  2. ^ a b c d e 『映画館名簿』各年版
  3. ^ a b c 西尾劇場”. 港町キネマ通り (2005年12月). 2014年8月29日閲覧。
  4. ^ 『映画館名簿』時事映画通信社、1953年版
  5. ^ 近代化産業遺産 認定遺産リスト (PDF) - 経済産業省
  6. ^ auショップ西尾駅前”. ハートランド株式会社. 2016年4月25日閲覧。
  7. ^ "駄菓子のある映画館~親子3代で守る老舗映画館・西尾劇場". スタイルプラス. 9 December 2007. 東海テレビ放送. 2015年1月4日閲覧
  8. ^ "愛知・西尾市編". ウドちゃんの旅してゴメン. 27 May 2006. 名古屋テレビ放送. 2016年4月25日閲覧
  9. ^ "やすらぎ薫る 昭和レトロな町 愛知・西尾市". ウドちゃんの旅してゴメン. 29 August 2009. 名古屋テレビ放送. 2015年1月4日閲覧
  10. ^ "珍百景No.541「レトロな謎の建物」". ナニコレ珍百景. 17 February 2010. テレビ朝日. 2015年1月4日閲覧
  11. ^ 2013年8月21日放送(#046)”. ノリで行こう!!名古屋. Yahoo! JAPAN (2013年8月22日). 2016年4月25日閲覧。
  12. ^ 日本経済新聞 (2019年4月4日). “「西尾劇場」跡地売却で7800万円脱税か 所有会社を告発”. 2019年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月8日閲覧。
  13. ^ 名古屋テレビ放送 (2019年4月5日). “名古屋国税局が韓国籍の会社代表を告発 「西尾劇場」跡地の売却益を脱税か”. 2019年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月8日閲覧。

外部リンク[編集]