ありあけ (フェリー・2代)

ありあけ
東京港・有明10号地埠頭に接岸する「ありあけ」
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 船舶整備公団鉄道建設・運輸施設整備支援機構
大島運輸マルエーフェリー
運用者 大島運輸マルエーフェリー
建造所 林兼船渠
航行区域 近海(A2水域)[1]
信号符字 JDTK
IMO番号 9118783
経歴
進水 1995年5月[1]
竣工 1995年8月29日[2]
就航 1995年9月16日[2]
最後 2009年11月12日、熊野灘で座礁転覆
2010年12月27日、現地解体完了[1]
要目
総トン数 7,910 トン[1]
全長 166.86 m[1]
垂線間長 150.00 m[1]
全幅 22.80 m[1]
深さ 15.27 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 JFE-SEMT ピルスティク 16PC2-6V 2基[2]
推進器 5翼固定ピッチプロペラ 2軸[1]
最大出力 17,652 kW[1]
最大速力 26.0ノット[2]
航海速力 24.0ノット[2]
旅客定員 426名[1]
乗組員 22名[1]
積載能力 10フィートコンテナ434個[1]
車両搭載数 シャーシ55台、乗用車180台 [1]
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ありあけは、マルエーフェリーが運航していたフェリー。本項目では、1995年竣工の2代目を取り扱う。

概要[編集]

ありあけ(初代)の代船として林兼船渠で建造され、1995年9月に就航した。

2009年11月27日、運航中に熊野灘三角波と思われる高波を受け大傾斜をおこした後、三重県御浜町七里御浜の海岸に座礁、全損した。

就航航路[編集]

東京航路

2008年7月まで、与論島(与論港)へ寄港していた。

本船の事故後、有村産業の航路休止により係船されていたクルーズフェリー飛龍21を代船として購入、2010年3月18日より就航した。その後、クルーズフェリー飛龍21が2014年12月7日に運航を終了したため、旅客営業は休止された。現在は、RO-RO船琉球エキスプレス2琉球エキスプレス3が就航している。

設計[編集]

初代と比較して、総トン数が1.6倍となり大型化した。 船体は上部からA甲板 - E甲板の5層で、A甲板が操舵室および乗組員居住区、B甲板前方が船室・食堂などの旅客区画、後方が乗用車の区画、C・D・E甲板が車両・コンテナ積載区画となっている。E甲板後部に機関室上段があり、甲板下の前部は各種タンク、後方が機関室下段となっている。ランプウェイはD甲板の右舷船首と船尾両舷に装備しており、B・C・D甲板は左舷後方の船内スロープで接続されている[1][3]

事故・トラブル[編集]

貨物船との衝突[編集]

2002年9月8日、16時37分ごろ、東京から志布志へ向かうため、入船右舷付けで接岸していた東京港10号地ふ頭A岸壁から離岸する際、主機の右舷機と左舷機の操作を取り違え、対岸のお台場ライナー埠頭に接岸していた貨物船ポーラーリヒトに衝突した。衝突により、ありあけは左舷船尾の外板に凹損および左舷船尾ランプウェイのフレームに亀裂、 ポーラーリヒトは右舷船尾の外板に破口およびハンドレールに曲損を生じた[4]

乗組員負傷[編集]

2005年8月27日、16時20分ごろ、東京港10号地ふ頭A岸壁に接岸中、亀裂の生じた右舷主機7番シリンダ給気管を修理するため、チェーンブロックと電動ホイストを使用して取り下ろし作業を行っていたところ、吊り下げた給気管の動きにより、一等機関士および三等機関士が隣接する給気管の管フランジに手を挟まれ負傷した[3]

船体傾斜・座礁[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 運輸安全委員会(海事専門部会) (25 February 2011). 船舶事故等調査報告書 2009東第12号 フェリーありあけ船体傾斜 (PDF) (Report). 運輸安全委員会. 2016年2月23日閲覧
  2. ^ a b c d e 世界の艦船(1995年12月号,p64)
  3. ^ a b 門司地方海難審判庁 (28 September 2006). 平成18年門審第49号旅客船ありあけ乗組員負傷事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年2月23日閲覧
  4. ^ 横浜地方海難審判庁 (20 March 2003). 平成14年横審第123号 旅客船ありあけ貨物船ポーラーリヒト衝突事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年2月23日閲覧