ルイ・パトリシオ

ルイ・パトリシオ
ポルトガル代表でのパトリシオ (2018年)
名前
本名 ルイ・ペドロ・ドス・サントス・パトリシオ
Rui Pedro dos Santos Patrício
ラテン文字 RUI PATRICIO
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1988-02-15) 1988年2月15日(36歳)
出身地 マラゼス
身長 189cm[1]
体重 84Kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ASローマ
ポジション GK
背番号 1
利き足 左足
ユース
1997-2000 Leiria e Marrazes
2000-2006 ポルトガルの旗 スポルティングCP
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2018 ポルトガルの旗 スポルティングCP 327 (0)
2018-2021 イングランドの旗 ウルヴァーハンプトン 112 (0)
2021- イタリアの旗 ローマ 73 (0)
代表歴2
2003-2004  ポルトガル U-16 5 (0)
2004-2005  ポルトガル U-17 11 (0)
2005-2006  ポルトガル U-18 4 (0)
2006-2007  ポルトガル U-19 10 (0)
2007-2008  ポルトガル U-20 8 (0)
2007-2010  ポルトガル U-21 14 (0)
2010- ポルトガルの旗 ポルトガル 100 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月13日現在。
2. 2021年10月12日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイ・ペドロ・ドス・サントス・パトリシオRui Pedro dos Santos Patrício, 1988年2月15日 - )は、ポルトガルレイリア県マラゼス出身のサッカー選手ASローマ所属。ポルトガル代表。ポジションはゴールキーパー

経歴[編集]

クラブ[編集]

幼い頃はストライカーとしてプレーしていた。スポルティングCPの下部組織に入団し、2006年11月19日のCSマリティモ戦 (1-0) でデビューして完封勝利を収めた。この試合ではクラブとポルトガル代表でそれぞれレギュラーだったリカルド・ペレイラの代役としてプレーし、試合終了15分前にはペナルティキックを止めている。2007年夏にはリカルドがスペインレアル・ベティスに移籍したため、ベテランのティアゴ・フェレイラや新加入のヴラディミル・ストイコヴィッチとポジション争いを繰り広げ、最終的にパトリシオがポジションを掴んだ。11月27日、UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で同大会初出場を果たしたが、1-2で敗れた。2008年夏には同胞のジョゼ・モウリーニョ監督率いるイタリアインテル・ミラノへの移籍が噂された[2]。2008年のスーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラではFCポルトと対戦し、ルイス・ゴンサレスのPKをセーブする活躍で2連覇に貢献した。2008-09シーズンも変わらずレギュラーとしてプレーした。2009年8月4日、UEFAチャンピオンズリーグ予選のFCトゥウェンテ戦2ndレグは94分の段階で0-1と劣勢であり、1stレグで0-0と引き分けていたため大会からの敗退が濃厚であったが、試合終了間際のコーナーキックの際にゴール前にするすると上がり、ヘディングシュートを放って劇的な決勝点を演出した[3][4]。2009-10シーズンは30試合すべてにフル出場し、リーグ3位タイの26失点に抑えたが、得点力不足のチームは4位に終わった。

2018年6月18日、ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCと4年契約を締結したことが発表された[5]。背番号はGKとしては珍しい11に決定した。

2021年7月13日、1150万ユーロの移籍金でASローマに移籍し、3年契約を締結した[6]UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ決勝のフェイエノールト戦では好守を連発して優勝に貢献した[7]

代表[編集]

2007年にU-21ポルトガル代表に初招集された。2008年1月29日にはルイス・フェリペ・スコラーリ監督によってポルトガルA代表に初招集され、スイスのチューリッヒで行われたイタリア代表との親善試合 (1-3) に臨んだが、その試合で出場機会は訪れなかった。5月12日にはUEFA EURO 2008に臨む23人のメンバーに選出され、リカルド・ペレイラヌーノに次ぐ第3GKとして大会に参加した。

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、終盤のハンガリー戦とプレーオフのボスニア・ヘルツェゴビナ戦でベンチ入りしたが、キムベトダニエル・フェルナンデスなど先輩達の前にやはり出場機会はなかった。2010 FIFAワールドカップ本大会に向けた代表候補24人に選ばれたが[8][9]、最終的に本大会に出場する23人を決定する段階で落選し、6人のバックアップメンバーに回った[10]。2010年11月17日、スペインとの親善試合 (4-0) の後半にA代表デビューを果たし、2010 FIFAワールドカップ優勝国相手に無失点に抑えた。2011年に入ると、W杯で正GKを務めたエドゥアルドに代わってゴールを守る機会が増加。UEFA EURO 20122014 FIFAワールドカップに出場し、UEFA EURO 2016ではレギュラーとしてポルトガル代表の初優勝に貢献、2018 FIFAワールドカップでも引き続きレギュラーとしてプレーした。

2022 FIFAワールドカップでは、予選終盤にて若手のディオゴ・コスタにポジションを奪われ、第2GKに降格。本大会は控えとして大会に参加した。

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

国際Aマッチ 81試合 0得点(2010年 - )


ポルトガル代表国際Aマッチ
出場得点
2010 1 0
2011 8 0
2012 11 0
2013 9 0
2014 6 0
2015 7 0
2016 14 0
2017 12 0
2018 9 0
2018 4 0
通算 81 0

タイトル[編集]

スポルティングCP
ASローマ
ポルトガル代表

脚注[編集]

  1. ^ FIFA Qatar World Cup 2022: List of Players: Portugal”. FIFA. p. 22 (2022年11月15日). 2022年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  2. ^ Rui Patrício por Toldo” (Portuguese). Record (2008年6月17日). 2008年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月2日閲覧。
  3. ^ Sporting late show shatters Twente”. UEFA.com (2009年8月4日). 2011年5月2日閲覧。
  4. ^ 直感でチームを救ったルイ・パトリシオ”. UEFA.com (2009年8月5日). 2009年8月6日閲覧。
  5. ^ Wolves Complete Patricio Signing”. Official Website of Wolves FC (2018年6月18日). 2018年6月19日閲覧。
  6. ^ RUI PATRICIO È UN NUOVO CALCIATORE GIALLOROSSO”. asroma.com (2021年7月13日). 2021年7月14日閲覧。
  7. ^ ザニオーロ弾を鉄壁守備で守り抜いたローマがフェイエ退け初代王者に! モウリーニョがUEFA3つ目のタイトル”. 超WORLDサッカー (2022年5月26日). 2022年5月26日閲覧。
  8. ^ “Convocados revelados” (Portuguese). Portuguese Football Federation. (2010年5月10日). オリジナルの2011年6月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110615170243/http://www.fpf.pt/portal/page/portal/PORTAL_FUTEBOL/SELECCOES/NOTICIA?notid=9126513 2010年5月11日閲覧。 
  9. ^ “Pepe in Portugal squad”. FIFA.com. (2010年5月10日). http://www.fifa.com/worldcup/news/newsid=1208424/index.html 2010年5月11日閲覧。 
  10. ^ Release list of up to 30 players; FIFA.com

外部リンク[編集]