古川利行
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 新潟県新潟市西区 |
生年月日 | 1963年9月24日(61歳) |
身長 体重 | 173 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト3位 |
初出場 | 1985年4月21日 |
最終出場 | 1986年5月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について |
古川 利行(ふるかわ としゆき、1963年9月24日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]北越商業高では2年生の時、エースとして1980年秋季北信越大会で準決勝に進むが、音重鎮のいた星稜高に敗退し春の選抜出場を逸する。翌1981年、春の北信越大会では1回戦で東海大三高に延長14回サヨナラ負けを喫するが、左腕の好投手として注目を集めた。しかし、夏は野球部員の不祥事があり甲子園予選への出場を辞退した。
同年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名を受けるが入団を拒否し、社会人野球の日本鋼管へ進む。
1983年の都市対抗野球ではエースとして2勝をあげ準々決勝に進出するが、池田親興投手(日産自動車から補強)を擁する東芝に敗れる[1]。1984年のロス五輪日本代表に選出されるがこれを辞退し、同年の都市対抗野球に出場。順調に勝ち進み、決勝で日産自動車と対戦するが乱戦の末9-10で逆転負け、準優勝にとどまった[1]。
1984年のプロ野球ドラフト会議で再度中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。
貴重な中継ぎ左腕として、1年目の1985年から16試合に登板するが、その後は登板機会が減り、1987年限りで現役を引退。愛知県内の運送会社に就職した。カーブが主武器でシュートも持っていた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1985 | 中日 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 66 | 14.1 | 14 | 2 | 9 | 0 | 1 | 12 | 0 | 0 | 10 | 7 | 3.77 | 1.60 |
1986 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 26 | 5.2 | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3.86 | 1.59 | |
通算:2年 | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 92 | 20.0 | 20 | 2 | 12 | 0 | 1 | 19 | 0 | 0 | 13 | 10 | 3.15 | 1.60 |
背番号
[編集]- 11 (1985年 - 1987年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 古川利行 - NPB.jp 日本野球機構