桂枝太郎 (3代目)

三代目 かつら 枝太郎えだたろう
三代目 桂(かつら) 枝太郎(えだたろう)
本名 佐々木ささき 修市しゅういち
生年月日 (1977-08-28) 1977年8月28日(46歳)
出身地 日本の旗 日本岩手県奥州市
師匠 桂歌丸
名跡 1. 桂歌市
(1996年 - 2000年)
2. 桂花丸
(2000年 - 2009年)
3. 三代目桂枝太郎
(2009年 - )
出囃子 串本節
大漁節
活動期間 1996年 -
配偶者 大河原あゆみ
所属 落語芸術協会

三代目 桂 枝太郎(かつら えだたろう、1977年8月28日 - )は、日本落語家である。落語芸術協会マセキ芸能社所属。本名:佐々木 修市岩手県胆沢郡衣川村(現・奥州市)出身。

略歴[編集]

岩手県立岩谷堂高等学校卒業。

人物[編集]

  • 祖父は岩手県にかつてあった衣川村最後の村長。
  • 高校時代に郷里で4代目桂米丸の落語を聞き感動、落語家を志す。米丸が既に高齢だったため、米丸の紹介により桂歌丸の直弟子となり、修行を始める。
  • 入門以来、横浜市中区黄金町に居住。歌丸は著書の中で「不肖枝太郎が最後の弟子になる。」と言明している。
  • 2009年5月1日、岩手県出身の落語家としては初となる真打昇進。同時に大名跡「桂枝太郎」を襲名した。先代の得意演目「自家用車」を復活させている。先代の命日のほか、先代が創設に尽力した浅草演芸ホールに出演する際に、先代の墓を訪れている。Twitterでは、先代を芸で追い越すことを目標としている旨を、たびたび綴っている。
  • 古典落語はもとより、自ら創作する新作落語にも意欲的に取り組んでいる。三宅右近に師事し狂言を学んでおり、狂言を題材とした新作も制作している。
  • 通常歌丸の弟子は「歌」の名前が入った高座名となるのが通常であり、歌丸の預かり弟子である歌春を含めて4人の兄弟子も例外ではなく、枝太郎自身の前座時代の高座名も「歌」の文字が入っているものであった。しかし、本人の希望により、歌丸の「丸」の文字が入っているものを歌丸に希望したとされる。歌丸曰く「学校の成績が良くなかったから、名前だけでも丸が欲しいのではないか」という理由から、二つ目時代は「花丸」になったとのこと。
  • 2009年、4月6日、新宿京王プラザホテルにて真打昇進披露パーティーが行われ、事務所の先輩に当たるウッチャンナンチャン南原清隆[1]が代表して祝辞を行った。
  • 真打披露に伴い、同じ奥州市出身の漫画家・吉田戦車が手拭い・寄席の後ろ幕デザインを担当。 ザ・プラン9から寄席の幟が贈呈された。
  • 本来「枝太郎」は文枝一門の名跡。これに関しては、本人曰く「師匠の歌丸の書籍を読み返してみたところ、食えなくて苦しい時期に先代の枝太郎から割り(給金)を多く包んでもらうなど可愛がってもらっていた。だからこそ、先代枝太郎の最後の弟子だった桂枝八(現桂歌春)を引き受け、「枝太郎」の名跡を貰いに行ったのではないか」と、義理堅かった歌丸の性格も合わせて推測している[2]
  • 2009年、フジテレビ「爆笑レッドザブトン」にて、「レッドザブトン賞」受賞。審査員長は松尾貴史、審査員アイドリング!!!
  • 2009年、2010年の東京新聞テレビCM出演。女優・紺野まひると共演。
  • 東京新聞ほっとWebにて連載コーナー執筆。吉田戦車、歌舞伎俳優の尾上松也、水泳の寺川綾玉川スミいとうあさこ等とのインタビュー対談。
  • 2015年、乃木坂46の舞台「じょしらく」落語指導。2016年、「じょしらく弐」落語指導も決定。乃木坂46から寄席の幟を贈呈されている。
  • 2017年、BS日テレ「BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸」にて、 歌丸役をつとめた尾上松也をはじめ、笹野高史水橋研二鈴木勝大柳下大などに落語指導を行った。
  • 2017年、日本テレビ「ニノさん」にて、二宮和也ヒロミ前山田健一らと共に、偉人の隣人に出演。 桂歌丸最後の弟子として、珍エピソードを披露した。
  • 岩手県出身で、東日本大震災後は被災地を訪問することが多い。
  • タレントとしてマセキ芸能社に所属しており、キングコング西野亮廣インパルス堤下敦鳥居みゆきなど、テレビタレントとも幅広く交流、共演している。
  • 2015年、「“行けないけど頑張って”とパフォーマーに気軽に言うのは止めた方がいい」と書き、Twitter炎上声優緒方恵美諏訪部順一がTwitterで賛同したが、批判のコメントも多く、Yahooニュースのトップになる。同じ炎上芸人で友人のキングコング西野亮廣に相談するも「慣れや。おれ毎日炎上してるもん」と言われ、全く参考にならなかったと話している。
  • 2010年、花巻東高等学校での芸術観賞会で落語をした際、生徒として観劇していた大谷翔平(当時、同校1年生)が野球部全員と共に楽屋まで挨拶に訪れ、「面白かったです」と御礼を言い、交流する姿が岩手朝日テレビで放送された。
  • 素人弟子(落語芸術協会所属ではない)として、豆しば原作者のキム・ソクウォンが「桂豆太郎」の芸名で一番弟子。また、じょしらくをきっかけに、乃木坂46能條愛未が弟子になり、「桂枝毛」と命名されたが本人が断ったエピソードがある。
  • 2018年、世界初となる「VR落語会」にゲスト出演。プロの落語家として初めてVRChatの中で落語を披露した。演目は自身の新作落語である「アンケートの行方」。落語に日頃親しみのない若年層への落語普及と、VRをよく知らない高齢者層へのVR普及の双方で話題になり、ニュースでも大きく取り上げられた。
  • 2019年7月2日、三吉演芸場での「桂歌丸一周忌追善公演」に合わせて限定発売された「横浜ウォーカー×崎陽軒 桂歌丸さんの愛した炒飯弁当」では、弁当の中の崎陽軒名物「ひょうちゃん」に歌丸の絵を描いた[3]
  • 2022年7月15日、NHKドキュメント72時間浅草演芸ホールが取り上げられた時、演芸場の正面入口から入場したところを取材陣に観客と間違えられてインタビューされかけた。しかし怒ることなく対応、改めて楽屋などを案内した。
  • 歌丸の死後、歌丸のライフワークであった「はこぶね寄席」「桂歌丸会」を引き継ぐ。
  • 2023年よりJ:COM「J:COM笑顔寄席」のMC、ナビゲーターを担当。宮内恒雄アナウンサーと共に番組の司会。
  • 2013年より独演会フェス「三代目枝太郎まつり」が横浜にぎわい座で開催。初回ゲストが桂歌丸、ナイツ、三宅狂言会。2回目ゲスト、笑福亭鶴光、ハマカーン、三宅狂言会。3回目ゲスト、桂米丸、三遊亭小遊三、坂本頼光。4回目ゲスト、春風亭昇太、いつもここから、三宅狂言会。5回目ゲスト、柳家喬太郎、マギー審司。6回目ゲスト、桂米助、ポカスカジャン、三宅狂言会。7回目ゲスト、月亭方正、三宅狂言会。8回目ゲスト、柳家花緑、三宅狂言会、インパルス堤下。9回目ゲスト、桂吉弥、U字工事。10回目ゲスト、立川志の輔、西野亮廣(キングコング)、三宅狂言会。

笑点[編集]

  • 日本テレビ系「笑点」の大喜利では、二ツ目時代(当時・花丸)の2004年から、三遊亭愛楽らとともに座布団運びのアシスタントとして出演していたが、2021年末をもって、アシスタントを卒業する事が明かされた。
  • 2009年5月31日放送の「落語芸術協会 真打昇進披露口上」に出演した。枝太郎は挨拶の中で「笑点のアシスタントとして、たい平師匠には毒の盛り方を教わった」とネタにし[4]、そのあと隣にいた師匠・歌丸の様子を察して「左から殺気を感じる」と自虐していた。
  • 2012年4月29日放送の若手大喜利に回答者で登場し、「うちの師匠桂歌丸に褒められた!…それが最後の言葉だったんです。」[5]と、6代目円楽並のブラックな歌丸死去ネタを披露していた[6]
  • 師匠歌丸と長年罵倒合戦を繰り広げていた6代目円楽の事は「歌丸一門の顧問兼相談役」と呼んで慕っており、所属する落語芸術協会のイベント「芸協らくごまつり」内にて2018年に歌春達兄弟子と共に企画した歌丸の追悼座談会や、歌丸一門の落語会において共演するなど最晩年まで交流を続けていた。2022年9月30日に円楽が逝去した際には自身のTwitter内で「国立演芸場で達磨の目を書いてもらったばかりなのに」とその死を悼んでいる。

代表的な演目[編集]

※当代から習って持ちネタとしている芸人。

「アンケートの行方」
父と子の、職場と学校で配布されたアンケート用紙をめぐる騒動。※六代目三遊亭円楽三遊亭愛楽2代目三笑亭夢丸サンドウィッチマン
「狂言マック」
狂言師の「和泉」がマクドナルドの店員になるドタバタ。※三笑亭可龍柳家蝠丸エネルギー
「ぼくの夏休み」
地方の田舎が舞台の、少年のひと夏の物語。
「自家用車」
2代目桂枝太郎作。アレンジをして当代も演じている。※三笑亭夢花
「ユギヤナギ」
東日本大震災後の陸前高田を舞台に、実際にあった出来事をモチーフに落語化。題名は、歌手松本哲也の歌のタイトルに影響を受けたとされている。
附子
狂言師、三宅右近から習い落語化したもの。※三遊亭愛楽2代目三笑亭夢丸
「蚊相撲」
三宅右近から習い落語化したもの。※三笑亭夢花

脚注[編集]

  1. ^ 南原は高松第一高等学校在学中に落語研究会に所属していたほか、狂言に理解がある点でも枝太郎と縁を持つ。
  2. ^ ヨネスケチャンネル『歌丸【初公開】50年前のネタ帳!入院中の秘話も・・・』(2021年7月6日投稿動画) 2021年11月3日閲覧。
  3. ^ 歌丸さん一周忌に限定「桂歌丸さんの愛した炒飯弁当」”. スポーツ報知 (2019年7月3日). 2020年3月31日閲覧。
  4. ^ たい平はこん平が病に倒れた後に代役として出演したため、大喜利に出演するためにこん平に毒を盛ったのではないかというネタがある(主に6代目円楽が使用)。
  5. ^ 第2312回 若手大喜利
  6. ^ これは第2301回(2012年2月12日放送)での問題(「俺を誰だと思ってるんだ!」と言われ、様々な場面で返答する)から来ており、この時円楽が「それが最後の言葉でした・・・。」と返したことが元ネタとなっている(この時歌丸は自ら円楽の座布団を放り投げて全部没収した)

関連項目[編集]

  • 桂枝太郎…先代の最後の弟子が、歌丸一門の惣領弟子である桂歌春(本稿での枝太郎の兄弟子)である。
  • 笑点山田隆夫のアシスタント兼前説として出演していた。
  • 小沢一郎…祖父が岩手県衣川村議会議長をしているころからの家族ぐるみの付き合いで、真打昇進・枝太郎襲名の御祝い文を寄せている。
  • ようへい…元落語家で現在はラジオパーソナリティ。本稿での枝太郎の弟弟子にあたり、落語家廃業の現在も枝太郎と付き合いがある。

外部リンク[編集]