鳥居坂

鳥居坂(とりいざか、鳥井坂)は、東京都港区麻布にある坂である。

概要[編集]

東京都港区六本木五丁目、フィリピン大使館東洋英和女学院前を、麻布十番方面へ南に下る坂である[1]六本木ロアビル横から続く通り沿いにはフィリピン大使館や港区役所麻布支所(旧麻布区役所)、東洋英和女学院があり、さらにその先の坂沿いには東洋英和女学院小学部、大手レコード会社ビーインググループ本社、六本木ミュージアム(旧:スヌーピーミュージアム東京)、国際文化会館(旧岩崎小弥太邸)、シンガポール大使館等がある。

明治時代末期から大正時代頃までの鳥居坂周辺は優雅な地域で、華族三条家の邸宅をはじめ、韓国皇太子が育てられている館、実吉家大鳥圭介の邸宅などが連なっていたという[2]

鳥居坂には明治時代、造園家市川之雄設計による鳥居坂御料地が置かれた。また、1883年明治16年)には日本メソジスト教会鳥居坂教会(現:日本基督教団)が作られ、翌1884年(明治17年)になると東洋英和女学校が開校している。

坂名の由来[編集]

江戸時代地誌『江戸砂子』は坂名について、「慶長のころ、この地は鳥居彦右衛門に賜ひしところなり。よりてかく鳥居坂の名あり」と記している。また、同じく江戸時代に作成された寛文図によれば、この坂が出来る前、この一帯は「トリイ兵部」という者の屋敷で[1]、『府内沿革図書』の延宝年間より享保8年に至るまでの図面にも、この坂上に鳥居氏の屋敷が記載されている[3]

一方、『新撰東京名所図会』は、「むかし坂の上に鳥居左京亮の屋敷ありしに因り此の名あり」と鳥居氏の屋敷があったことに因むという一般的な説を紹介すると同時に、「一説に麻布氷川神社むかし大社にて二の鳥居此所にありしを以って称し来りと」と、かつて坂上に神社の鳥居があったことにちなんでいるという異説にも言及している。

多度津藩・江戸屋敷[編集]

国際文化会館

江戸時代・幕末まで、鳥居坂には多度津藩京極家江戸屋敷があり、同藩の第3代藩主京極高文が死去したのもこの屋敷であった。

明治時代になるとここは公爵井上馨の所有となり、1887年(明治20年)には邸内で明治天皇夫妻らを招いた天覧歌舞伎が行われている。屋敷はその後久邇宮邸となり、次いで大正銀行頭取も務めた実業家赤星鉄馬の邸宅となった。

しかしながら屋敷は1923年(大正12年)の関東大震災により倒壊、三菱財閥総帥岩崎小弥太の邸宅として再建された。太平洋戦争での日本の敗戦と財閥解体を経て国有地となっていた多度津藩江戸屋敷跡は民間に払い下げられ、1955年昭和30年)に国際文化会館が開館した。

鳥居坂46(現:櫻坂46、元:欅坂46)について[編集]

アイドルグループ『櫻坂46』(旧・欅坂46)は、当初『鳥居坂46』としてメンバー募集を開始した[4]。その後、お披露目当日に新グループ名が発表された経緯がある[5][注釈 1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 発表までの3カ月間『鳥居坂46』の名称が用いられていたため、2021年時点でも一部の辞書で『鳥居坂46』の情報が掲載されている[6]

出典[編集]

  1. ^ a b 「鳥居坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行
  2. ^ 村岡花子(東洋英和女学院同窓) 『麻布鳥居坂』
  3. ^ 「鳥居坂」 石川悌二 『江戸東京坂道辞典コンパクト版』(新人物往来社) 平成15年9月20日発行
  4. ^ 乃木坂46に続く新グループ「鳥居坂46」オーディション開催 - BARKS
  5. ^ 鳥居坂改め欅坂46、初代22人決定 秋元康氏「大混戦」 - オリコンミュージック
  6. ^ 鳥居坂46 - コトバンク

外部リンク[編集]