現役中に死亡した力士一覧
現役中に死亡した力士一覧(げんえきちゅうにしぼうしたりきしいちらん)は、現役中に死亡した大相撲の力士の一覧である。
一覧
[編集]凡例
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本場所途中の力士の死亡について
[編集]本場所途中に死亡した力士は、戦前では桂川・大ノ川、戦後では剣晃・前田などの例があるが、大抵は病気の悪化などの原因で死亡直前の時点では休場しており、休場していない出場期間中に死亡した例は、明確な記録が残っている中では魁士(1992年7月場所、9日目(死亡前日)までの2勝3敗の成績が残されている)が唯一のケースであり、力士の死亡によって不戦敗(対戦相手が不戦勝)になったケースは理論上考えられるがその前例はまだない。なお響龍は本場所の取組中の事故が原因で死亡したが、実際に死亡したのは当該取組(2021年3月場所13日目)から1ヶ月後の本場所の開催されていない時期であった。
参考:現役中に死亡した行司・呼出・床山
[編集]行司
[編集]行司名 | 部屋 | 最高位 | 没年月日 | 没年齢 | 死因 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
10代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1839年2月4日 | ? | 9代庄之助と同一人物 | |
5代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1850年3月1日 | ? | ||
5代木村多司馬 | ? | 8人目 | 1868年5月 | ? | ||
6代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1880年9月2日 | 66歳 | ||
7代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1883年8月15日 | ? | ||
14代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1884年8月14日 | 58歳 | ||
15代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1897年9月22日 | 57歳 | ||
8代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1897年12月18日 | 54歳 | ||
木村瀬平 | ? | 立行司 | 1905年2月5日 | 68歳 | 心臓麻痺 | |
9代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1910年6月28日 | 56歳 | ||
16代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1912年1月6日 | 62歳 | 肺炎 | |
11代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1914年3月15日 | 54歳 | ||
18代木村庄之助 | 高砂部屋 | 立行司 | 1925年6月11日 | 55歳 | 脳溢血 | |
14代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1925年12月26日 | 55歳 | 式守伊之助としては1場所も務められなかった | |
19代木村庄之助 | 出羽海部屋 | 立行司 | 1932年5月30日 | 63歳 | ||
5代式守錦太夫 | ? | 幕内格 | 1938年5月 | ? | ||
20代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1940年3月9日 | 63歳 | 胃癌 | |
木村良雄 | 出羽海部屋 | 十両格 | 1942年11月 | 31歳 | 事故死 | 皇軍慰問の先発の為に乗っていた船が中国・上海市近くで被雷し、沈没 |
8代木村清之助 | 立浪部屋 | 立行司 | 1942年12月1日 | 68歳 | もと大阪相撲、大相撲の東西合併で東京に加入、東京では三役格 | |
6代式守錦太夫 | ? | 十両格 | 1945年3月17日 | ? | 戦死 | 硫黄島の戦いで玉砕 |
木村友治郎 | ? | 幕内格 | 1946年11月30日 | 49歳 | ||
木村公乃助 | 中村部屋 | 幕内格 | 1961年10月9日 | 50歳 | ||
10代式守与太夫 | 立浪部屋 | 三役格 | 1983年5月25日 | 57歳 | 胃癌 | |
木村筆之助 | 伊勢ノ海部屋 | 幕内格 | 1984年4月26日 | 60歳 | 糖尿病 | 1980年9月場所より休場、1984年1月場所より番付行司欄最下位に別格扱いで掲載 |
2代式守伊三郎 | 時津風部屋 | 三役格 | 1987年10月15日 | 62歳 | 脳梗塞 | |
15代木村玉光 | 放駒部屋 | 幕内格 | 1988年9月15日 | 60歳 | 肝臓癌 | |
木村圭吾 | 二子山部屋 | 幕下格 | 1995年1月7日 | 23歳 | 脳挫傷 | 門限に遅れて締め出されたため、部屋の2階から入ろうとして転落した[13] |
木村誠司郎 | 九重部屋 | 幕下格 | 2003年12月26日 | 33歳 | 胃癌 | |
4代木村正直 | 朝日山部屋 | 三役格 | 2013年1月29日 | 59歳 | 肝細胞癌 |
呼出
[編集]呼出名 | 部屋 | 最高位 | 没年月日 | 没年齢 | 死因 | 備考 |
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初太郎 | 双葉山道場 | (番付制以前) | 1940年10月2日 | ? | 呼び上げを務め、「三羽烏」と呼ばれた3人の呼出の内の1人(残りの2人は宗吉と清吉) | |
関造 | 時津風部屋 | (番付制以前) | ? | ? | 土俵作りを務めた戦前の呼出 | |
卯之助 | 出羽海部屋 | (番付制以前) | 1960年4月30日 | 74歳 | 呼び上げを務めた | |
源司 | ? | (番付制以前) | 1960年 | 69歳 | ||
栄吉 | 時津風部屋 | (番付制以前) | 1965年12月29日 | 51歳 | 呼び上げを務めた | |
真吉 | 間垣部屋 | (番付制以前) | 1984年 | 18歳 | 入門直後に死去 | |
勲 | 出羽海部屋 | 十両呼出 | 1995年5月11日 | 54歳 | 溺死 | 病気を苦にした自殺とみられる |
幸太郎 | 伊勢ヶ濱部屋 | 幕内呼出 | 1996年1月12日 | 63歳 | 膀胱腫瘍 | |
政弘 | 二所ノ関部屋 | 三役呼出 | 1999年12月29日 | 63歳 | 心不全 | |
扇太郎 | 田子ノ浦部屋 | 序二段呼出 | 2008年6月19日 | 25歳 |
床山
[編集]床山名 | 部屋 | 最高位 | 没年月日 | 没年齢 | 死因 | 備考 |
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床泰 | 浦風部屋 | ? | ? | ? | 戦前の頃の床山、入門から5年半ほどで死去 | |
床熙 | 伊勢ヶ濱部屋 | 一等床山 | 1989年3月3日 | 57歳 | ||
床泉 | 東関部屋 | 三等床山 | 2016年6月3日 | 35歳 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 古今大相撲事典(ISBN 978-4336018786)
- ^ -力士と喧嘩騒動-
- ^ 武州の力士(中 英夫著(1976)出版社:埼玉新聞社)
- ^ 荒井太郎『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』(2008年5月大空出版)27頁
- ^ 「近世日本相撲史」第2巻20頁
- ^ 「相撲」1988年12月号133頁
- ^ “大相撲の三段目力士が死去 将来を期待された17歳”. 47NEWS/共同通信. (2004年8月8日) 2010年8月7日閲覧。
- ^ “大相撲の序二段力士が死去 イベント参加中に倒れる”. 47NEWS/共同通信. (2004年10月16日) 2010年8月7日閲覧。
- ^ 相撲ニュース(2004年10月6日-11月29日分)
- ^ 「高田川部屋の勝武士がコロナ感染死 28歳」『日刊スポーツ』2020年5月13日。2020年5月13日閲覧。
- ^ 「響龍が俵に激しく頭部ぶつける 動けず救急搬送」『日刊スポーツ』2021年3月26日。2021年4月29日閲覧。
- ^ 「響龍さん死去 28歳 春場所取組で倒れ入院、寝たきり続き急性呼吸不全で」『日刊スポーツ』2021年4月29日。2021年4月29日閲覧。
- ^ 『相撲』1995年2月号123頁。