1960年の国鉄スワローズ

1960年の国鉄スワローズ
成績
セントラル・リーグ6位
54勝72敗4分 勝率.429[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
経営母体 日本国有鉄道
監督 宇野光雄
« 1959
1961 »

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1960年の国鉄スワローズ(1960ねんのこくてつスワローズ)では、1960年の国鉄スワローズの動向をまとめる。

この年の国鉄スワローズは、宇野光雄監督の5年目のシーズンである。

概要[編集]

宇野監督就任5年目、Aクラス入りを目指しているチームはこの年、前年活躍した岩下守道が2番に、遊撃のレギュラーとなった土居章助が8番に入った。打てて走れる佐藤孝夫が1番に、飯田徳治町田行彦が3番と4番に入ることで得点力改善を目指した。

この年は前年優勝の巨人が主力選手のケガや不振などもあって混戦模様で、8月までは首位の大洋と7ゲーム差で。4位には踏みとどまるだろうと言われていたが、9月に7連敗と5連敗を喫するなど大きく負け越し、大洋の初優勝が決定した10月2日からは4連敗で閉幕。最終的に1953年以来、7年ぶりの最下位に転落。宇野監督は解任された[2]

投手陣は不動のエース金田正一が20勝22敗と苦戦したが、最多奪三振を獲得。村田元一は18勝、巽一も8勝を挙げ、この3人でチーム勝ち星の半分を稼いだ。チーム防御率も3.09とまずまずだった。打撃陣は安打数はリーグ2位だったが、73本塁打とパンチ力不足だった。シーズンオフには宇野の辞任に伴い、主力打者でキャリアハイの16本塁打を放っていた箱田淳A級10年選手制度の権利を行使し、大洋へ移籍。前年に巨人から移籍していた岩下も自由契約となり、これもかつての同僚である千葉茂監督の近鉄へ移籍。交換トレードで巨人へ移籍した土居の交換相手は土屋正孝だったが、総じて戦力は低下した。

宇野の後任にはこの年、コーチとして入団していた砂押邦信が就任した。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 佐藤孝夫
2 岩下守道
3 飯田徳治
4 町田行彦
5 箱田淳
6 平岩次男
7 西岡清吉
8 土居章助
9 金田正一
1960年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 中日 -- 中日 -- 中日 -- 大洋 -- 大洋 --
2位 大阪 2.0 巨人 1.5 大洋 0.5 巨人 1.0 中日 1.5 巨人 4.5
3位 国鉄 2.0 広島 2.5 巨人 1.5 大洋 1.5 巨人 4.0 大阪 6.0
4位 中日 2.5 国鉄 3.0 広島 2.0 国鉄 2.5 大阪 6.5 広島 6.5
5位 大洋 3.5 大洋 4.0 国鉄 3.0 大阪 6.0 国鉄 7.5 中日 9.0
6位 広島 5.0 大阪 大阪 5.0 広島 7.0 広島 7.5 国鉄 16.0
1960年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 大洋ホエールズ 70 56 4 .556 優勝
2位 読売ジャイアンツ 66 61 3 .520 4.5
3位 大阪タイガース 64 62 4 .508 6.0
4位 広島カープ 62 61 7 .504 6.5
5位 中日ドラゴンズ 63 67 0 .485 9.0
6位 国鉄スワローズ 54 72 4 .429 16.0

オールスターゲーム1960[編集]

コーチ 宇野光雄
ファン投票 選出なし
監督推薦 金田正一 飯田徳治 佐藤孝夫
補充選手 村田元一 巽一

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[3][4]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
金田正一 最多奪三振 284個 3年連続8度目
ベストナイン
選出なし

出典[編集]

  1. ^ 年度別成績 1960年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月31日閲覧。
  2. ^ 週刊ベースボール60周年記念企画【週ベ60周年記念企画142】『川上監督の考えた三つの人事~主将、あと一人のコーチ、トレード問題』【1960年12月28日号】週刊ベースボール
  3. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 146 
  4. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7