1954年の南海ホークスでは、1954年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人(登録名・山本一人)監督の9年目のシーズンである。
日本シリーズは巨人に3年連続で敗退したものの、パ・リーグでは敵なしのチームはこの年も好調で、4月は3位ながらも首位の西鉄に2.5ゲーム差で食らいつき、5月以降の首位奪取が期待された。7月に西鉄に5.5ゲームと放されるが、8月後半からの18連勝で3位以下を突き放して首位に浮上。しかし、終盤は打線が息切れ。最後は西鉄の初優勝を許し、両リーグ最多の91勝(この年セ・リーグで初優勝の中日が86勝)をあげながらも2位に終わった。打撃陣では前年首位打者でMVPの岡本伊三美や、1番の蔭山和夫・2番の木塚忠助・4番の飯田徳治など主力選手もそれなりの成績を残した。この年野村克也がテスト生で入団するが、初打席は西鉄のエース・河村英文に3球三振に打ち取られ、プロ入り初安打を打つことなく1年目を終えた。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1954年パシフィック・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 西鉄 | -- | 毎日 | -- | 西鉄 | -- | 西鉄 | -- | 西鉄 | -- | 西鉄 | -- | 西鉄 | -- |
2位 | 毎日 | 1.5 | 西鉄 | 1.5 | 毎日 | 0.5 | 毎日 | 0.5 | 南海 | 5.0 | 南海 | 0.5 | 南海 | 0.5 |
3位 | 南海 | 2.5 | 南海 | 4.0 | 南海 | 1.0 | 南海 | 5.5 | 毎日 | 5.5 | 毎日 | 10.0 | 毎日 | 10.5 |
4位 | 阪急 | 4.5 | 阪急 | 6.0 | 近鉄 | 8.0 | 近鉄 | 10.0 | 近鉄 | 11.5 | 近鉄 | 16.5 | 近鉄 | 16.0 |
5位 | 近鉄 | 近鉄 | 8.5 | 阪急 | 8.5 | 阪急 | 10.5 | 阪急 | 14.5 | 阪急 | 阪急 | 23.5 |
6位 | 大映 | 5.0 | 東映 | 11.0 | 大映 | 16.0 | 東映 | 20.5 | 高橋 | 24.5 | 高橋 | 30.0 | 高橋 | 37.0 |
7位 | 東映 | 6.5 | 大映 | 11.5 | 東映 | 16.5 | 大映 | 20.5 | 東映 | 28.0 | 東映 | 33.0 | 東映 | 38.5 |
8位 | 高橋 | 11.5 | 高橋 | 13.5 | 高橋 | 17.5 | 高橋 | 20.5 | 大映 | 31.0 | 大映 | 37.5 | 大映 | 46.0 |
オールスターゲーム1954[編集]
できごと[編集]
8月22日から9月21日まで、日本プロ野球最多の18連勝を記録した。途中に引き分けのない連勝としても最多記録。
試合日 | ホーム | スコア | ビジター | 球場 | 勝利投手 | 敗戦投手 |
8月22日 | ● | 東映 | 0 - 2 | ○ | 南海 | 駒澤 | 中原 | 米川 |
8月22日 | ● | 東映 | 2 - 3 | ○ | 南海 | 駒澤 | 柚木 | 宮沢 |
8月24日 | ● | 大映 | 2 - 3 | ○ | 南海 | 後楽園 | 戸川 | 林 |
8月25日 | ● | 大映 | 4 - 5 | ○ | 南海 | 後楽園 | 中原 | 高松 |
8月26日 | ● | 大映 | 3 - 5 | ○ | 南海 | 後楽園 | 宅和 | 小川 |
8月28日 | ● | 高橋 | 2 - 3 | ○ | 南海 | 川崎 | 柚木 | 滝 |
8月31日 | ○ | 南海 | 6 - 2 | ● | 東映 | 大阪 | 戸川 | 寺川 |
9月2日 | ○ | 南海 | 4 - 3 | ● | 東映 | 大阪 | 戸川 | 米川 |
9月3日 | ○ | 南海 | 4 - 1 | ● | 西鉄 | 大阪 | 宅和 | 西村 |
9月4日 | ○ | 南海 | 2 - 1 | ● | 西鉄 | 大阪 | 柚木 | 川崎 |
9月5日 | ○ | 南海 | 3 - 0 | ● | 西鉄 | 大阪 | 宅和 | 大津 |
9月7日 | ● | 阪急 | 1 - 2 | ○ | 南海 | 西宮 | 野母 | 梶本 |
9月9日 | ● | 阪急 | 0 - 1 | ○ | 南海 | 西宮 | 柚木 | 柴田 |
9月11日 | ● | 東映 | 6 - 8 | ○ | 南海 | 駒澤 | 大神 | 米川 |
9月12日 | ● | 東映 | 0 - 4 | ○ | 南海 | 駒澤 | 宅和 | 今西 |
9月15日 | ○ | 南海 | 6 - 3 | ● | 近鉄 | 大阪 | 宅和 | 関根 |
9月19日 | ○ | 南海 | 5 - 4 | ● | 毎日 | 大阪 | 戸川 | 植村 |
9月21日 | ○ | 南海 | 4 - 3 | ● | 西鉄 | 大阪 | 宅和 | 川崎 |
- 6月のある試合で飯田徳治内野手は手首に死球を受けてバットが振れなくなり、10日間5試合に守備固めや代走だけで出場した。現在の公認野球規則では「アテ馬や代走だけで出たもの、また守備で出てきてもその回がチェンジになるまで守っていない場合は連続試合に含まれない」(規則10.24(e))となっているため、1948年9月12日以来続いている飯田の連続試合出場が途切れるところだが、当時はこの規則がなかったため影響はなかった[2]。
選手・スタッフ[編集]
表彰選手[編集]
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |