1958年の南海ホークスでは、1958年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の13年目のシーズンである(当時は山本一人)。
立教大学の先輩である大沢啓二(のちの日本ハム監督)の誘いで杉浦忠が入団したこの年、チームは2年間優勝から遠ざかったうっぷんを晴らすべく前年まで2連覇の西鉄に11.5ゲーム差を付けるなど、8月までは順調に首位を走り、3年ぶりの優勝は目前だった。しかし、杉浦に疲れが見え始めた9月以降はチームも成績が急降下。杉浦の負担を軽くできる投手は皆川睦雄を除けば不調で、さらにBクラスチームへの取りこぼしもあり、最終的に西鉄の3連覇を許して2位に終わった。シーズン終了後、鶴岡監督は夫人の実家である山本家から籍を抜き、登録名も本名の鶴岡一人に復した。対戦成績は西鉄に11勝13敗2分と健闘したものの、西鉄が復調した8月以降はわずか2勝しかできなかった。それ以外では東映と最下位の近鉄に大きく勝ち越したが、例年得意だった阪急に13勝12敗1分と苦戦し、9月21日の26回戦に勝ってようやく勝ち越しを決めた。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1958年パシフィック・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 西鉄 | -- |
2位 | 西鉄 | 1.0 | 西鉄 | 3.5 | 阪急 | 5.5 | 阪急 | 6.5 | 阪急 | 3.0 | 南海 | 1.0 |
3位 | 東映 | 3.0 | 阪急 | 4.0 | 西鉄 | 6.5 | 西鉄 | 10.5 | 西鉄 | 3.0 | 阪急 | 4.5 |
4位 | 大毎 | 5.0 | 大毎 | 4.5 | 大毎 | 9.5 | 大毎 | 12.5 | 大毎 | 13.5 | 大毎 | 16.0 |
5位 | 阪急 | 7.5 | 東映 | 7.5 | 東映 | 12.5 | 東映 | 17.0 | 東映 | 14.0 | 東映 | 22.0 |
6位 | 近鉄 | 10.5 | 近鉄 | 19.5 | 近鉄 | 29.0 | 近鉄 | 37.5 | 近鉄 | 38.5 | 近鉄 | 49.5 |
オールスターゲーム1958[編集]
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
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表彰選手[編集]
- ^ 1955年に一塁手部門で受賞しており、通算3度目。
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |