1980年の横浜大洋ホエールズ

1980年の横浜大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ4位
59勝62敗9分 勝率.488[1]
本拠地
都市 神奈川県横浜市
球場 横浜スタジアム
球団組織
オーナー 中部新次郎
経営母体 大洋漁業
監督 土井淳
« 1979
1981 »

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1980年の横浜大洋ホエールズ(1980ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1980年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。

1980年の横浜大洋ホエールズは、土井淳監督の1年目のシーズンである。

概要[編集]

1977年から指揮を執った別当薫前監督のフロント入りを受けて、大洋生え抜きの土井ヘッドコーチが監督に昇格したこの年、親会社の大洋漁業のバックアップで球団初の海外キャンプを行うなど20年ぶりの優勝が期待された。チームは6月まで勝ち越しこの年優勝の広島ヤクルトに次ぐ3位につけたものの、6月24日からの12連敗で一気に首位戦線から脱落。連敗脱出後は前年同様巨人阪神との3位争いに終始したが、土井監督の1年目は59勝62敗9分と不本意な成績で優勝の広島と16ゲーム差の4位に終わった。投手陣は野村収平松政次斉藤明夫が2ケタ勝利を挙げたが、打線の援護で勝つ試合が多く防御率はやや高めで、チーム防御率はリーグ5位に終わった。打撃陣では4番の田代富雄が36本塁打を放ったほか、3番に入った基満男がチームトップ、そしてリーグ4位の.314を叩き出す活躍でチーム本塁打は3位とまずまずだったが、三振や併殺も多くチーム打率は前年の.266から.259へ若干低下した。大ベテランの松原誠は2000本安打を達成したがオフに古賀正明とのトレードで巨人へ移籍し、記者会見で「大洋で終えたかった」と悔し泣きした。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 長崎慶一
2 山下大輔
3 基満男
4 高木由一
5 松原誠
6 ジェームス
7 田代富雄
8 福嶋久晃
9 平松政次
1980年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 広島 -- 広島 -- 広島 -- 広島 -- 広島 -- 広島 -- 広島 --
2位 ヤクルト ヤクルト 2.5 ヤクルト 5.0 ヤクルト 10.0 ヤクルト 8.5 ヤクルト 5.5 ヤクルト 6.5
3位 巨人 2.5 阪神 3.0 大洋 5.5 阪神 13.0 巨人 16.0 大洋 18.5 巨人 14.0
4位 大洋 3.0 大洋 3.5 阪神 8.5 大洋 14.0 阪神 17.5 巨人 19.0 大洋 16.0
5位 阪神 5.0 巨人 6.5 巨人 巨人 16.0 大洋 18.0 阪神 19.5 阪神 20.5
6位 中日 7.5 中日 11.5 中日 17.5 中日 22.0 中日 30.0 中日 30.5 中日 30.0


1980年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 広島東洋カープ 73 44 13 .624 優勝
2位 ヤクルトスワローズ 68 52 10 .567 6.5
3位 読売ジャイアンツ 61 60 9 .504 14.0
4位 横浜大洋ホエールズ 59 62 9 .488 16.0
5位 阪神タイガース 54 66 10 .450 20.5
6位 中日ドラゴンズ 45 76 9 .372 30.0

[1]

オールスターゲーム1980[編集]

  • コーチ
土井淳
  • 監督推薦
野村収
平松政次
基満男
田代富雄(出場辞退)

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
基満男 二塁手 8年ぶり2度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
基満男 二塁手 初受賞
山下大輔 遊撃手 5年連続5度目

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 広瀬新太郎 投手 峰山高 入団
2位 堀井恒雄 内野手 大阪商業大学 入団
3位 高木豊 外野手 中央大学 入団
4位 市川和正 捕手 東海大学 入団

出典[編集]