2001年の日本ハムファイターズ(2001ねんのにっぽんハムファイターズ)では、2001年シーズンについての日本ハムファイターズの動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは、大島康徳監督の2年目のシーズンである。
就任初年度、ビッグバン打線が爆発しAクラスである3位に入った大島監督は、「21世紀最初の年に優勝する」と意気込み、開幕を迎えた。しかし開幕直前に井出竜也が離脱、開幕戦で片岡篤史とシャーマン・オバンドーが途中交代、その後ナイジェル・ウィルソンもリタイアするなど、故障者続出でビッグバン打線が機能しなくなり、4月の段階で早くも最下位に転落。その後も巻き返すことができず、投手陣も打ちこまれた。ベテランの下柳剛が9勝を挙げ、リリーフに回った芝草宇宙が6勝と復活、奈良原浩も故障者の穴を埋める働きを見せた。ルーキーの井場友和や中村隼人、高卒2年目の田中賢介、佐々木貴賀、高卒3年目の實松一成、森本稀哲など若手にも積極的に出番が与えられたが、最終的に53勝84敗3分で21世紀最初の年は7年ぶりの最下位に終わった。その後2004年の札幌ドーム移転まで、チームは低迷期を迎えることになる。チームの低迷で大島監督の進退問題が浮上したが、翌シーズンも続投が決まった。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
2001年パシフィック・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 近鉄 | -- | オリックス | -- | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | ダイエー | -- | 近鉄 | -- |
2位 | ダイエー | 0.5 | ダイエー | 1.0 | ダイエー | 2.5 | ダイエー | 1.5 | 近鉄 | 0.5 | ダイエー | 2.5 |
3位 | オリックス | 2.0 | ロッテ | 1.5 | オリックス | 3.5 | 西武 | 2.5 | 西武 | 3.5 | 西武 | 6.0 |
4位 | ロッテ | 2.5 | 近鉄 | 1.5 | ロッテ | 4.5 | オリックス | 3.5 | オリックス | 6.5 | オリックス | 7.0 |
5位 | 西武 | 3.0 | 西武 | 3.5 | 西武 | 5.5 | ロッテ | 7.0 | ロッテ | 7.0 | ロッテ | 14.0 |
6位 | 日本ハム | 7.0 | 日本ハム | 13.5 | 日本ハム | 14.0 | 日本ハム | 18.5 | 日本ハム | 18.5 | 日本ハム | 24.5 |
オールスターゲーム2001[編集]
選手・スタッフ[編集]
表彰選手[編集]
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
小笠原道大 | 最多安打 | 195本 | 2年連続2度目 |
ベストナイン |
選手名 | ポジション | 回数 |
小笠原道大 | 一塁手 | 2年ぶり2度目 |
ゴールデングラブ賞 |
選手名 | ポジション | 回数 |
小笠原道大 | 一塁手 | 3年連続3度目 |
ドラフト[編集]
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |