1984年の日本ハムファイターズ(1984ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1984年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは植村義信監督の1年目であり、6月29日に植村に代わって就任した大沢啓二監督の9年目のシーズンである。
前年のシーズン終了後に高橋一三が引退、江夏豊とトニー・ソレイタもチームを去り、さらに前年8勝の工藤幹夫も右肩痛でわずか1試合しか登板できず大幅に戦力ダウンしたチームは5月に入り5連敗で最下位に転落すると5月下旬にも8連敗、6月下旬に3連敗となったところで植村監督が解任、矢頭高雄ヘッドコーチが2試合監督代行を務めた後、大沢球団常務が任命責任を取る形で監督に復帰した。復帰直後は7試合で5勝2敗と好調で、5位の西武にあと1ゲーム差と迫った。だが、そこから球団史上最悪の14連敗を喫してしまい日本ハムの1975年以来9年ぶりの最下位が決定的となった。投手陣も坂巻明が自己最多の7勝、前年11勝の川原昭二も江夏の後任として14セーブを挙げたが、2ケタ勝利はゼロでチーム防御率も4.98と最下位だった。打撃陣もルーキーの白井一幸をはじめ津末英明などの若手が台頭したが、柏原純一が打率リーグ最下位、ソレイタの穴埋めとして入団のマーシャル・ブラントも期待外れに終わり、全体的に低調の中トミー・クルーズが最後まで阪急のブーマー・ウェルズと首位打者を争いただ一人気を吐いた。カード別では前年優勝の西武に12勝14敗、5位の南海に11勝11敗4分と健闘し、全球団負け越しは逃れたが上位陣には大きく負け越した。シーズン終了後に大沢監督がフロント業務に専念し、後任の監督には巨人OBの高田繁が就任した。
1984年パシフィック・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 近鉄 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
2位 | 阪急 | 0.5 | 近鉄 | 4.0 | 近鉄 | 7.0 | 近鉄 | 6.5 | ロッテ | 6.5 | ロッテ | 8.5 |
3位 | 南海 | 1.0 | 南海 | 6.5 | ロッテ | 7.5 | ロッテ | 7.0 | 近鉄 | 12.5 | 西武 | 14.5 |
4位 | 西武 | 2.0 | ロッテ | 8.5 | 南海 | 9.5 | 南海 | 11.5 | 西武 | 14.0 | 近鉄 | 16.5 |
5位 | ロッテ | 2.5 | 西武 | 9.0 | 西武 | 12.0 | 西武 | 13.0 | 南海 | 20.0 | 南海 | 21.0 |
6位 | 日本ハム | 3.0 | 日本ハム | 14.0 | 日本ハム | 15.0 | 日本ハム | 19.0 | 日本ハム | 25.0 | 日本ハム | 29.5 |
[1]
|
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |